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先日、パソコンが制御不能になった。
クリックしてもクリックしても、ファイルもアプリケーションも反応しない。 パソコンの中には、バックアップしていないデータがてんこもり入っている。 ここで壊れられたら、致命傷なのだ! たまに気まぐれのように反応するパソコンを誘導して、システムのエラーチェック&修復をかけた。 修復が終わり、祈るような気持ちで再起動する。 が、またしても変化なし……! 落胆。 ふとしたはずみで、ノートパソコンの本体の方についているマウスボタンを押した。 すると、あんなに反応のなかったアプリケーションが立ち上がるではないか…… そうです、壊れていたのはマウスの方だったのです。 それからマウスの様子を窺うと、軽くクリックするのではなく、じっくりと押すようにクリックすると、言うことをきくということが分かった。 完全に壊れているのではなく、壊れかけているのですね。 買い換えようか騙し騙し使おうか、少々悩んでいる。 貧乏性か。
2012年、読者の皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。
なんてことを3日になってから書いているのはなんだか怠慢だが、確かに怠慢である。 最近なにごともやる気が減退していて、パソコンを立ち上げるのが億劫なのだ。 あまつさえ、小説を書く意欲も減退している。 危機である。 そこで今年の抱負。 裸言で毎週短いものを書きながら、長編の構想と資料調べをして、着手する。 どんな作品なのかというと、お諏方様と蛇のシンボリズムと東北大飢饉と阿片と半陰陽の入り混じった、一種のファンタジーである。 皆さん、想像つきますか? わたしの中ではみんな整合性がついて大枠は出来上がっているんだけど、書いてみると読者には何が何やら分からない奇天烈なものになるってこと、よくあるんだよなあ。 皆さんにお見せするに足るものが書けるよう、精進いたします。 さて、正月三が日は、姉一家と弟が来ていて、姉の息子の双子の5歳が大騒ぎで、賑やかなお正月だった。 今日のお昼頃、どちらも帰っていって、家は急に静かになった。 父と母とわたしの、いつものメンバーに戻って、ハレとケで言えばケの方になったのだが、こっちの方がお正月のような気がするのはどうしてだろう? お正月は特別なものでなければならない、という重圧が抜けたから、逆にお正月を感じるコンディションになったのかしら。 それとも、歳を取って、静かな環境の方が落ち着くようになったのかしら。 よく分からない。
岩手の民放が作っているバラエティ番組がある。
観るともなしに観ていたら、吹き出した。 その中のワンコーナー、「ガンライザー」というヒーローものなのだが、今回のタイトルは「激闘!わんこそば」。 敵役のカッパー大佐というのが今回は岩手県中の電気ポットを南部鉄器に変えてしまうのだが、部下への説明に、 「南部鉄器は水道のカルキを抜いてお茶が美味くなるのだぞ」 とおおっぴらに薀蓄(というか宣伝?)を述べる。 それをやっつけるガンライザーは、必殺技を封じられて、新必殺技を繰り出す。 それが、「わんこそばパンチ」。 「どんどん、はいはい、どんどん、はいはい」(わんこそばを供する時の掛け言葉)と叫びながらパンチを繰り返すのだ。 カッパー大佐は 「お茶を美味くしたかっただけなのに…」 と呟き、その大佐にガンライザーは南部鉄器でお茶を淹れてやり、どこやら和んで、電気ポットはもとの場所に戻って一件落着なのだった。 その他に、岩手の小学生がバスケットボールのシュートの速さを競うコーナーがあって、そこで1等賞に輝いた子に渡された賞品は、「岩手県産ひとめぼれ2kg」。 渋い。 いちいちが洗練されてなくて、狙っているわけではないだろうが、ひとつひとつに可笑し味が滲み出てしまう。 いや、狙っていたら、きっともっとくどくてつまらないものになってしまうだろう。 そんなナイスな番組を放映しているのは、テレビ岩手です。
今日、わたくしの誕生日であった。
さんじゅううんさい。 アラフォーである。 前日は、涙が出るほど憂鬱な思いであった。 どういう訳か、わたしは奇数の歳は大してなんとも思わないのであるが、偶数の歳に弱いのである。 すごく歳をとった気分になるのである。 (というと、何歳になったかばれてしまいますね) が、今日起きて、ちょっとした開き直りというか諦念というか、になった。 じたばたしても、歳はとる。 歳相応の落ち着きに欠けても、職がなくても、夫も子どももいなくても、歳はとるのだ。 そういうふうに生きてきたんだから、仕方がないのだ。 そういう気持ちになった。 が、そう開き直る前にはとても憂鬱だった訳で。 願わくば、不惑の歳までには、もっと平らかな気持ちになっていたい。 というか、もっとましな境遇になっていたい。 という気持ちも、ある。
元ルームメイトのタマコさん(仮名)からその存在を教えてもらってから、物々交換のサイトを楽しんでいる。
どういう仕組みかというと、自分の交換に出したいアイテムの詳細を、サイトの自分のページにアップする。 それを見て欲しいものがある人は、自分のアップしているアイテムで交換してくれないかとオファーする。 それで双方が交換に納得すれば成立、それぞれ宅急便だの郵便だのでアイテムを送り合ってめでたしめでたしだ。 これまでにわたしも、ペンダントが練り香水になったり、マフラーがワンピースになったり、お弁当箱がベルトになったり、ワンピースがレインブーツになったりした。 何が楽しいのかなと考えてみると、不用品が欲しいものに変わる嬉しさもあるが、それまでの過程に、カードゲームのような楽しさがあるのだと思いついた。 自分の交換に出したいアイテムが、自分の手持ちのカードである。 交換したいものを持っている相手のアイテムが、相手の手持ちカードだ。 交渉には、そのカードが物を言う。 例えば、相手の持っているアイテムが、高価なものだったりブランド品だったりだとする。 それに比べて、自分の持っているアイテムがしょぼい場合、キングやエースに2か3のカードを切るようなもので、交渉してみるまでもなく交換は不成立だ。 相手がアイテムの説明に、購入時の価格を書き込んでいる場合など、当然それに見合う交換がしたい、という意志の表れであり、わたしはその一文だけでオファーを避ける。 また、相手のページの自己紹介の欄も見逃せない。 欲しいアイテムの欄があるからだ。 交換に出したいアイテムに圧倒的に洋服が多いわたしにとっては、「洋服は要りません」と書いてある相手などは、スペードが欲しい相手にハートを出すようなもので、当然交換は無理だ。 そういう縛りをかいくぐり、カードを切り合い、交換が成立した時、一種のカタルシスを感じる。 その交換がいい交換だったかどうかは実際アイテムが届いてみてからの話で、振り返れば「成功」「失敗」「中くらい」といろいろあるのだが、おしなべて楽しかったなー、という感じがするのはどれも共通だ。 オークションも楽しいとは聞くが、お金が絡まない分、物々交換の方がわたしには気が楽だ。 先日も着ない洋服をアップした。 あまり強いカードじゃないがカード増強という訳で、交渉できるかどうか考慮しつつ、しばらくアップしてあるアイテムをぶらぶら見物して歩こうと思う。
確か中学生の頃読もうと手を付けた覚えがあるのだが、根気がなくて読めなかった、ような気がする。
何十年か越しで、手にとって見た。(こんなの中学生で読破してる、という方には、すみません) 面白かった。 (はっきり書いてある訳ではないので恐らく、だが)清朝末期から革命中国に至るまでを時代背景に、親子3代にわたる歴史が壮大に、しかし淡々と俯瞰して、語られている。 細部の人物造詣や描写も面白いのだが、それに足をとられることなく、時にはあっけないと思われるほど冷静に、時の流れが過ぎてゆく。 (文庫本4巻のうち、1巻で最初の主人公が亡くなった時には驚いた) 著者のアメリカ的志向と中国的志向がひとつになったような感じだ。 (パール・バックは伝道師の父とそれを支えた母の間に生まれ、4人のきょうだいと共に中国で育ったという) 初めて知ったことがいくつか。 この作品でノーベル文学賞を受賞したということもそのひとつだ。 さもありなん、という構えの大きさを感じる作品だった。 また、非常に骨太な印象だったので、著者が女性であるということを知って驚いた。 パール・バックには、「大地」の他にも、母の生涯を描いた伝記「母の肖像」がある。 機会があったら、読んでみたい。 それにしても、ブックレビュー下手だな。 ごめんなさい。
小説を書くことと、本を作ることは、似ているようでまるで違う行為だ。
小説を書く時は、頭と心を極限まで使う。 話の流れと落としどころを計算しながら、最後には心からそう信じていることを作品に込めなければ、人の心を動かす作品は書けない。 頭だけで作った作品は、所詮限界があると思うのだ。 ある文芸賞向けに、「ここだ愛しき」(HPに公開している「ここだ愛しき」とは同タイトルの別物)という作品を書いたが、どうしても頭で作った感が抜けなかった。 迷った末に応募したけれど、上には進めないだろう。 さて、本を作ることは、手と目の作業だ。 どんな装丁にすれば魅力的か、フォントの種類や大きさはどれが読みやすいか、本の大きさはどうするか、紙は何にするか、それを手と目で決めていく。 一種の麻薬的な楽しさがあるので、小説を書いていて疲れた時、本作りの作業に手を出すと、やめられなくなる。 といっても、わたしはこだわりがあるのは、本は全部文庫本サイズにする、という一点のみで、あとはみんなワードで原稿を作っていくので、装丁は自然とシンプルな凝らないものになってしまうのだが。 装丁だけ他の人にやっていただければそれが一番なのかもしれないが(イラストレーターで版下をつくってもらえたらすごく楽)、長年生きてきた軌跡を振り返ってみると、わたしは人と一緒に何かをやる、ということがやたら苦手なのだ。 自分ひとりでちみちみとやるのが性に合っているようなのである。 そういう性格が災いしてか、本はあんまり売れません。 それでもまあいいか、とも思っている。
昨日電子書籍化してwookとパブーから刊行した「三つのジムノペディによる三つの幻想遊び」、最初に書いたのは高校生の頃だったから、今から20年近く昔のことだ。
と書いてみて、改めて歳の経つのは早いわい、という感がする。 そういえば、ワープロもなかったから、原稿用紙に手で書いたな。 それぞれの章のタイトル、「吊られた男」「泣く女」「王様の御殿」というイメージはすぐにできたのだが、それの肉付けが難しかった。 「ジムノペディ」が古代ギリシアの祭りだということを知らなかったし、ファンタジーという世界のリアルをどう出したらいいのかもよく分からなかった。 二度目に書き直したのは、就職した後、札幌で。 やっと古代ギリシアを舞台にすればいいのだということが分かって(といっても、バックグラウンドとしてしか出てはこないが)、図書館で古代ギリシアの衣装や建築についていろいろ調べた。 ちなみに、第三話の王様の結婚したお姫様は、インドからやってきたお姫様である。 彼女が友達にしていた象の名前の「アパーム・ナパート」というのは、「水の子」という意味の、神様の名前である。 リグ・ヴェーダに出てきます。(一応ちゃんと調べてあるでしょ!?) 電子書籍にしたのは、手軽だからだが、本当は印刷書籍として出したかった。 それでもって次の文学フリマに出したかったのだが、ちょっと来年の5月はそんなことして遊んでる場合ではないような気がしたので、諦めた。 再来年の5月に時間とお金のやりくりができれば、印刷書籍にして文学フリマに参加しようと思います。 挿絵としてイメージがあるのは、「吊られた男」はタロットカード、「泣く女」はピカソの同名の絵、「王様の御殿」はパルテノン神殿みたいな古代ギリシャ建築の城。 そんなイメージで、誰か描いてくれませんか? と、いろいろ思惑はあるのだが、実は<WWW.とおこ>の<小説>のコーナーにもアップしてあります。 無料で手軽に読みたい方はこちらからどうぞ。
ひたすら行き交う人々に名刺とアメちゃんを配り続けた、という印象の強かった文学フリマでしたが、(受け取ってくださった方々、立ち寄ってくださった方々、どうもありがとうございます!)終わってみると、30冊も売れていました。(瞳光舎は弱小レーベルなので、30冊でも凄いの!)
それまでと何が違ったのかなぁと考えてみると、結局はお客さまの総数が増えたのかなぁという気がします。(統計のマジックで、北海道が日本一交通事故件数が多いように) 会場も広いところに変わったしね。 既刊5冊と新刊1冊を売ったのですが、どれもまんべんなく売れていました。 以前瞳光舎の本を(というか菊池とおこの本を)買ってくださった方がまたおとずれてくださったり、サイトで見て足を運んでくださった方がいたりで、うれしかったです。 多分これから先の文学フリマに参加するのは状況が厳しいと思うので、これが最後かな、と思うのですが、最後に多くの方に買っていただけて、悔いはいっこしかありません。(本の説明があんまり上手にできなかったのが今回の悔いです) みなさん、本当にありがとうございました!
シルヴィ・ギエム&東京バレエ団、HOPE JAPAN 盛岡特別公演に行ってきた。
第1ステージは、モーリス・ベジャールの小品3作。 第2ステージがボレロだった。 第1ステージは、(完全に制御された人間の肉体のうつくしさってすごいなー)と頭で思いながら観ていたが、ボレロの凄さはそれらを突き抜けたところにあった。 ギエムの動く手先だけがライトに照らされた冒頭部から、肌が粟粒立ちっぱなし。 徐々にライトがつき、ギエムの姿が明らかになっていき、それを囲む男性ダンサーたちに明かりが及ぶ。 クレッシェンドし続ける音楽、ダイナミックになっていく動き、刻むリズム。 曲が終盤にさしかかった時、突然わたしの頭の中で、ボレロに込められた意味が弾けた。 それは、燃える生命の賛歌だ。 エネルギーのほとばしりだ。 生きていること、そのこと自体の素晴らしさだ。 (もちろん、ベジャールがそう思って振付けたかどうかは別問題として) いったん封印したというボレロを、ギエムが被災地岩手でもう一度踊った意味が、分かったような気がした。 盛岡の公演だったので、直接の被災者の方々が観にこられたかどうかは分からないのだが(そんな余裕や交通手段はなかったかもしれない)、これを観たら、莫大な量のエネルギーをもらえただろうと思う。 拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
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